漢方について2


東洋医学では、何千年も前から、個を大切にし、病人の個々の体質の違いを重要視してきました。

日本の医学は、明治初期まで言うまでもなく漢方医学であったので、昔は「漢方」と言うと言葉はありませんでした。
 明治になって、長年の鎖国状態を解除した日本に、本格的に西洋医学がはいってくるようになり、このときはじめて両者を区別するために「東洋医学(漢方医学)」、「西洋医学」とよばれるようになったのです。

永年鎖国によって他国との交流を絶っていた日本にとって、開国後に見た諸外国の発展には目を見張る物がありました。明治政府は近代文明を取り入れ、富国強兵政策を推し進めるため、ありとあらゆる手段を講じました。武力をもって外国を侵略し、植民地政策を推し進めることに心血を注ぎました。

この時、漢方医学では多数の患者を対象に消毒や手術を行う軍属医学には対応できないと考え、西洋医学を日本の医学とする制度を定めました。こういう時代背景の中で、明治16年10月23日交付の内務省令(医術開業試験規則、医師免許規則)によって、西洋医学を修めた者でないと医師になれないという規則が出来てしまったのです。その結果、正規の医療機関や教育の現場において、東洋医学は無視されるようになってしまいました。

その後の東洋医学の運命は、西洋医学の陰で日の目を見ることはなく、一部の漢方医の間で細々とその治療は続けられ、伝統医学は守られてきました。私が東洋医学の研究を始めてたかだか30年前でも、同じ研究施設の西洋医学を専攻する人たちから冷たい目で見られ、まるで祈祷師や呪い師のように言われたものでした。

第2次世界大戦以降、それまで死因の大半を占めていた感染症のコレラ、チフス、赤痢、結核などが抗生物質の発見により克服され、疫病構造がまったく変化してしまいました。即ち、病気の中心が脳卒中、心臓病、ガンなどに移行していったのです。

 この疫病構造の変化によって、元来内因を重視し、生体のバランスを整え、抗病能力を高めることで治療を行う漢方医学の重要性が再認識されてきました。

細菌感染などの外因性の疾患に対しすばらしい効果を発揮する西洋医学も、内因性疾患に対する有用な治療法には乏しく、またこの頃、様々な西洋薬の副作用が出現し、それまでの西洋医学一辺倒の世の中にかげりが見え始めました。

これは、技術革新の名のもとに公害を発生させ、自然をないがしろにしてきた物質本位の西洋文明に対する反省と批判でもありました。

その後現在に至るまで、西洋社会の裏面がクローズアップされ、新聞紙上やテレビの番組のニュースには事欠きません。ニューヨークでのテロ事件からはや1年が過ぎようとしていますが、これも単にテロと言う名の暴力事件として片付けられない側面を持っています。

アメリカやヨーロッパが中心となって動かしている現代の世界情勢が、人間の本質を無視した経済優先主義に流されることに対する反発と考えることもできるのです。

最近の医学会のテーマはもっぱら遺伝子関連の話題。これは今やっと医療の現場でも、集団を治療することを重要視してきた西洋医学に、1人1人の薬に対する反応性の違いや、病気の進展の個人差など、個を大切に考えなければいけないという気運が高まってきた証拠だと思われます。

東洋医学では、何千年も前から、個を大切にし、病人の個々の体質の違いを重要視し病気の治療にあたっていたのですから、今更ながら昔の人の偉大さに頭が下がります。

また、東洋に暮らすわれわれ日本人にとっても、東洋医学の思想は誇りにすべきものだと、ここにきて改めて伝統医学の偉大さに感服させられています。